「八幡平は僕にとって最高の遊び場」―スノーボードを軸にした移住―


スノーボードとの出会いから八幡平市へ移住を決めた人がいます。今回お話を伺ったのは大阪府八尾市で生まれ八幡平市へ移住した金本大樹さん。八幡平市で暮らしながら、盛岡市のお店で働いています。

金本さんが務めているスポーツオーソリティー盛岡店を訪れると、ハツラツとした笑顔で出迎えてくれました。「八幡平は僕にとって最高の遊び場」と話す金本さんの移住物語をご紹介します。



スノーボードとの出会いから八幡平を知る


金本さんが八幡平を知ったのはおよそ22年前。当時スノーボードを始めたばかりだった金本さんは、たまたま同年代でスノーボードのプロとして活躍している人がいることを知ります。

「僕はまだスノーボードを始めたばかりだったんですけど、同い年のその子は10代からプロで、1998年の長野オリンピックにも出場している。何が違うのかを知りたい、その子に会えば、すぐ自分の方が上手くなるのではないかと単純に思っていました。

その子のビデオや雑誌を見る中で八幡平を知ったんですけど、見た瞬間に惹かれるものがありましたね。普通のスキー場にはロープで区切りがあるのですが、そこの映像に出てくるところはその境もなくて。もっと自由な、当時居たアメリカのノリのままの人たちがいっぱいいて。憧れを覚えました」


八幡平へ行こうと決めた金本さん。冬の半年間だけ岩手に住もうと、仕事を辞めハイエースに家財道具を詰め込んで岩手を目指しました。しかし、到着してみると、大阪との違いに困惑します。

「まず東北の方言がわからない。こちらも100%純度の高い関西弁なので、不審者扱いをされて苦笑。現代のように携帯でなんでも解決するわけではないですから、八幡平への道を聞くことも大変でした。関西だと、道を聞いたら連れていってくれるぐらいの感覚があったので、違いに戸惑ったことを覚えています。

迷いながら八幡平に着いたものの、今度は家を借りようとしたらどこの不動産屋にも断られてしまって。しばらくして大家さんを紹介していただけて、仮住まいが決まりましたが、あの時は本当に苦労しましたね」

スノーボードの為の仮住まい。金本さんはその年から8年間、12月から5月いっぱいまでは八幡平でスノーボードし、6月からは大阪に帰ってお金を貯め、また冬に八幡平へ来るという生活を続けます。しかし、葛藤はありました。

「当時、何回もこういう生活は辞めようかなと思ってました。最後に思ったのは5年目の時。スノーボードを辞めて、普通に働こうって大阪へ戻ったんです。向こうで仕事しながら、でもなんだかんだ冬だけは誘われて遊びに来る、スノーボードが好きだから好きな子と一緒に滑ろうみたいな感じになっていて。28歳の春に大阪に戻った時、もう思い出にして辞めようと思ったんですよ。スノーボードを」

見極めるために2年移住をしようと決意


大阪に戻った金本さん。仕事に励みながら、八幡平に惹かれている自分に気づきます。人生の節目の一つである30歳が間近に迫り『自分は何がしたいのか』と問い続け『やっぱりスノーボードがしたい』という思いを再確認しました。

「ただ年齢的にも、もうやりたいというだけではなく、何かを考えないとダメかなと思いました。その時に30歳までの2年間、八幡平に住もうと思ったんですよ。好きなことをしようと。人生って思ったときにやっておかないと、というのがポリシーにあるので」

『思いついたらやる。やりたいと思ったら、やる。迷ったときはやりたい方をやって、失敗をしたら、辞めればいい』熱いポリシーに突き動かされ、金本さんは動き出します。30歳までの2年間、最悪仕事がなくても生きていけるように貯金にも精を出しました。

「大阪で結構お金を稼いでいましたが、本当にやりたいことではないなと。お金よりも、自分のやりたいことをやって、収入が減っても好きなことをやれる生活の方がいいんじゃないかなと。僕にとってそれはスノーボードでした。不安はいっぱいありましたけど、タイミング的にもスポーツでは落ちてくる年齢ではあるし、スノーボードでどれだけできるのかを試したい気持ちもありました」

仮住まいを紹介してくれた大家さんから改めて家を契約し、見極めのための移住がスタートします。

「スノーボード仲間は春になればいなくなります。地元のスノーボード好きな子も、生活サイクルが変わると会わなくなる。そのへんも不安でしたね。ツテもなく本当に1人で来たので、シーズン終わったら何をしようっていうのを4月ぐらいから考えていました」

八幡平を深く知りたい気持ちからレストハウスで働く


夏の間、遊んでいるだけでは時間の無駄だと思った金本さん。歴史を含めて八幡平をもっと深く知りたい気持ちから、八幡平の山頂にあるレストハウスで働けないかと考えます。

「レストハウスは何年も実際に利用したり見続けていました。観光協会が管理していると知っていたので、働かせてくれたらいいなという本当に軽いノリで、訊いてみようと訪ねたんです」

求人があることを知り、夏の間だけ働くことが決まります。売店の切り盛りなど忙しく働く日々。夏の八幡平に登ったり、色々な人と出会い、また観光協会が持っている歴史の情報などを知る中で学びを深めました。2年の間に『自分なりに思う八幡平の伝えたいこと』ができたと言います。もともと決めていた2年がすぎる中で、定住を考えるようになったそうです。

「たぶんスノーボード以上やりたいことがなかったんです。今もそうですけど。滑りたい。八幡平でスノーボードがしたいので、これを邪魔されるのが1番嫌ですね」

就職先は盛岡。移動距離への違和感はゼロ

スポーツオーソリティ盛岡店

見極めの期間が終わる頃、友人がつないだ縁がきっかけでスポーツオーソリティ盛岡店への就職が決まりました。金本さんのことをよく知る友人が、向いている求人を見つけてくれたと言います。

「仕事を探していると知っていた友人がスポーツオーソリティ盛岡の求人を見つけて。”スノーボードができる人募集”と書いてあって、向いているのではないかと連絡をくれました。” スノーボードを好きな人がスノーボードを売った方がいいじゃん”と。

”『 スノーボードをしたことがある位のレベルのスタッフ』と『スノーボードがものすごく好きでライフスタイルとして生きていますというスタッフ』だったら、後者の方が山のこと含めて色々わかっているだろう”と言われ納得しました。それでその当時の店長さんになんとか雇ってもらって、今も働いています」

通勤距離に関する違和感はなかったのか伺うと『違和感はなかったですね』と振り返られました。

「都会で考えると電車で1時間位の通勤距離です。車なら3、40分。渋滞もありません。僕はもともと大阪で電車通勤をしていた経験があるので、違和感はありませんでした。

もちろん八幡平で働かせてくれるところ見つかったらよかったかなとか、もっと山のことに関連した仕事があったら、そっちの仕事の方がいいなとは思いますけど、それはそれでまた違うのかなと思っています」

就職してからも、冬はスノーボードを楽しむライフスタイルは変わりません。休日には必ず滑りに行き、誰よりも長いシーズンを過ごすことを続けているそうです。金本さんがスポーツオーソリティ盛岡に務めてから2019年9月で10年目。積み重ねたキャリアは、現在の仕事にも活かされています。

スノーボード通じて得た絆が今に活きる

金本さんが運営を手がけたキャンプサイトの様子(七時雨マウンテントレイルフェス)Photo by 三浦ガク

トレッキングアドバイザーとして働いている金本さんは、イベントなどを通じて精力的に八幡平などの良さを伝える活動をしています。

「もちろん岩手のフィールドを紹介したいんですけど、その中でも八幡平と聞くと、より力が入る部分は正直あると思います。八幡平の良さを伝えたいなと思って、八幡平市でイベントをすることが多いです。

地元だからこそ気づかないこともありますよね。外から来る人だけではなく地元の人にも、例えば”八幡平はこういう風に歩けば、またちょっと違うところも見える” とか知られざる魅力を伝えたいです。

他にもキャンプのイベント等で『こんな星空が見えるところは少ないですよ』ってお話をするんですよ。僕も大阪に帰って八幡平に戻ると家の前で『すごい綺麗だなー』とずっと思うぐらいなので。これを当たり前と流さないで綺麗と思ってほしいんですよね」

八幡平市にある七時雨山の星空 Photo by 三浦直諒

山で遊ぶ・キャンプに行く・川で魚を獲る、少し前まで普通であったことをできる人が少なくなっている現状があります。その中で、金本さんはアウトドアな遊びを教えることも「今、僕がやるべきことだと思う」と話されます。

「例えばキャンプなら、うちは買っていただいたお客様に全部講習までします。オンライン販売がある時代ですが、ネットの情報は間違っていることも多いです。正しい知識ともっと楽に安全にお金かけないで楽しむ方法をお伝えします。楽しめるフィールドが岩手に来ればあるよと言いますね。

あとはお客さんが”ここでやりたい”と言ったら、その許可を取るのもお店の仕事だと思っています。お店で”なんでできないの?”と訊かれたら、とりあえず電話してみます。それが今のここ10年の僕の築いたキャリアだと思っているので、使えるものは使います」

『この人に頼めば大丈夫』『なんとかしてくれる』お客様が寄せる期待は裏切られないと語る金本さんの姿は、頼もしさを感じさせます。金本さんの活動の根底にあるのは「八幡平に恩返しをしている」という想いです。

「もしスノーボードをしていなかったら、ここでも働いていなかったですしね。スノーボードと八幡平には感謝しています。出会いがいっぱいありました。20年以上切れていない付き合いもあります。

例えるなら、初めて小1で友だちができるみたいな感じですね。年齢も今までの経験も学歴も全然違う人たちが八幡平という山で出会って。いまだに連絡を取りますし、お互い仕事が変わっても山で会います。そこの繋がりというのはものすごく強いと思います。その人たちがいるから、たぶんいまだにいれるんだろうなと思います」

自分の楽しみを120%楽しむ生活


スノーボードをきっかけとして八幡平にやってきた金本さんですが、実は都会は最高と思っていたそうです。

「僕は寒いのも嫌いですし、虫も嫌い。田舎暮らしの根本は嫌いです。ただ、こちらに来て、のんびりした空気とか、時間が経つのがゆっくりだったりとか。スローライフという言い方なのかもしれませんが、収入は減ったけど、その分自分の楽しみも120%楽しめるのかなと思うようになりました」

ただし、田舎暮らしには都会にはない大変さもあります。収入の違いや、タイヤ代など田舎暮らしならではの出費を賄うことは必要です。田舎暮らしの相談に来る人に「岩手に限らず田舎に住もうと思ったら、まずはお金を貯めなさい」とアドバイスすることもあるとか。

「厳しさもありつつ、その見返りとして好きなことが近くでできるという良さがあります。僕の1番の幸せは、朝起きて、山を見て、コーヒーを飲むことです。家を決める時も、まずは窓を見せてくださいと言って。八幡平がバーっと一面に見えて、今日はどこへ滑りに行こうかって腕を組んで考えられる位置にしてもらったんです」


情景を思い描く金本さんの目はキラキラと輝いていました。また、金本さんが熱い想いを抱く場所に現在廃止となっている「八幡平スキー場」があります。「八幡平スキー場」は、岩手県で一番歴史が古いスキー場。雪が深く、コースをあまり区切らず自然のままの山スキーが楽しめる仕様は玄人の人にも愛されていました。

「僕の大きな夢は、八幡平スキー場を復活させることです。それ以上も以下もないですね。みんなに”死ぬまでに絶対また八幡平スキー場で滑りたい”と言ってます。自分の子どもが八幡平スキー場で滑れて、地元の方にも、自分が憧れたように”すごい!日本にはこんなスキー場があったんだ”と思ってもらいたいですね」

支えになった言葉と移住者へ向けたメッセージ

最後に金本さんが八幡平に来て大切にしていた言葉と移住する方に向けたメッセージを教えていただきました。

「”山に来て、足りるを知り、不便さを楽しむ”八幡平で学び、僕が大好きな、今の全ての支えになっている言葉です。八幡平へ好きで移住を決めたなら、楽しんでとして言いようがないですね。苦労なんてないと思うので」

夢を抱き、地域に貢献しながら八幡平を満喫する金本さんの活動は、今日も続いています。

金本さん一押し!Noujyo-Camp(農場キャンプ)


岩手山を目の前に
自らで楽しみを見つける、
そんな、アウトドアイベント。
会場では、
岩手八幡平ならではのアイテム、フードはもちろん、アーティストのライブ、たくさんのテント、トラクターのり、農場運動会、夜の宝探しなど、24時間好きなように楽しめる空間となっている。
大人から子供まで、一人で来ても、みんなできても、お好きな時間とたくさんのきっかけ待っている、
それが私達の目指すNoujyo-Campです。
出典: Noujyo-Camp2019
 Noujyo-Camp2019とは、八幡平市にあるルーデンス農場で2019年8月17日~18日に開催される24時間の感謝祭です。「ルーデンス農場」「MOWMOWFARM(モーモーファーム)」「小綿商店」のご家族が主催となって催されます。

「岩手の若い子たちが中心となって八幡平で開催している感謝祭です。熱意に触れスポーツオーソリティもサポートしています。楽しんでもらえる企画満載。沢山の皆さんのお越しをお待ちしています」

text : Yuko Matsumoto