結婚を機に八幡平へ、自分さえやると決めればできる【連載 第1回(全3回)】

八幡平で暮らす人インタビュー

今回お話を聞いたのは、結婚を機に八幡平市へ越して来られた宮野千栄さんです。働きながら八幡平市商工会女性部の部長を務めるなど、パワフルに活躍されています。結婚してからの八幡平市での暮らしについてインタビューに伺うと、あたたかな笑みで出迎え。明るい声でお話を始めてくれました。

結婚を機に八幡平へ

結婚を機に、花巻市から旦那さんの実家がある八幡平市に来た宮野さん。八幡平市のことは、以前からなんとなく知っていたと言います。

「同じ岩手の花巻市出身なので、八幡平市の位置などについては、知っている部分がありました。若くしてお嫁に来たので、両親は心配もあったと思います。ただ、父は” お前はそうやって、人に上手く話をしながらやれば、何も心配することはないんだ”と言ってくれましたね」

子育てをしながら八幡平で働く

八幡平に越してきてから早くに子どもが生まれ、1年ほど子育てに集中したそうです。その後、そろそろ働きに出たいなと考えた宮野さん。出納関係の仕事の経験があったことから安代町役場(当時)の出納室から旦那さんを通じて声がかかります。

「働きたいと思っていた時期だったので”行っていいですか?”と聞いたら、いいよってことになって。3ヶ月ほど、出納室に働きに出ました」

もともとは短期間の予定でしたが、以降、仕事と家事等を両立することになります。多彩な仕事遍歴は役場の出納室で働くことから始りました。平成10年には、商工会女性部にも入部。出納室で働いている時に、今度は診療所で産休に入る人がいるので、来てくれないかと声がかかります。


「ちょうど3ヶ月で切れるから、その頃いいですよと返事をして。レセプト業務だったので、”全然そんないろはがないんですけど”と伝えたら”大丈夫、大丈夫”と笑。働きながら、思っていた以上に業務を覚えていきました。薬は病名とセットで入力するので、覚えるほどに気が重くなることもありましたね」

宮野さんの仕事ぶりを見た診療所の方から「医療事務を本業にしてはどうか?」と誘われることもあったそうです。しかし、自分には合わないと感じます。

「血が見られないので、医療事務は向いていないと思いました。このまま医療関係で仕事をしたらとアドバイスを頂くこともありましたが、私は医療関係はダメだなと。自分の性格が許さないのでお断りをしたんです。そのうちに、今度、観光協会から声がかかって。観光協会の方で席が空くから、そこに入ってくれないかと誘われ、就職しました」


あたたかな人柄としっかりとした働きぶりから、人からの紹介で途切れることなく仕事が続く宮野さん。その後もトントンと家の外で仕事を続けるうちに、手に職をつけるのもいいのではないかと思うようになります。

「その頃、併用してやりたかったノエビアにちょこっと本腰を入れて取り組んでいました。でも、だんだんに疲れてきて。秋田の方にも代理店を展開し大々的に行っていましたが、移動距離が長かったこともあって、身体を壊したりして、あかんわって。家にいる期間もあり振り返った時に、そろそろ手に職つけるのもいいかなと思い始めましたね。まだ、美容専門学校が1年制だったこともあり、美容師への道を選びました」

資格を取得し美容師としてのキャリアをスタート


2019年現在は美容専門学校の多くが2年制となっていますが、当時は1年制の学校がありました。

「1年だから、まあどうにかなるかと思って、行かせてもらいました。当時の学校の理事長に、卒業後はうちの店に入店したらどうかと言われましたが、流石にもう盛岡には通いたくないと断って笑。

その時、子どももいることを話すと色々考慮して時間帯など融通してくれると言ってくださったんですが、お店の状況もわからないですからね。24・5歳の時に学校に通っていますから、もっと若い人が働いている可能性もあります。もしかしたら店長クラスの方が、同い年という可能性もあって、色々考えて近いところに通いたいと考えるようになりました」


学校卒業後、旦那さんのお母様の口添えもあり、地元の美容室で働くことに。ハードな新人時代も精力的に仕事をしていた宮野さんでしたが、その後、体調を崩したことなどもあり、一旦働くことはお休みして、しばらく家の仕事に専念するようになったそうです。

「辞めることは思い切って決めました。美容師の資格は取っているので、自分さえ頑張れば、いつでもできると思いましたね。10代ではなく20代でしたし、再び始める時は、大変なエネルギーがいるとは思っていましたが、自分さえやると決めればできると思っていましたから」

その後、仕事をしたりしながら再び子宝に恵まれ、現在では、旦那さんのお母様が経営する美容院で働いているそうです。嫁いできてから20年以上、良いこと大変だったことを含め、新しい土地で経緯をギュッと濃縮して話す宮野さんの瞳は輝いていました。

地域活動にも積極的に関わっている宮野さん。
次回は新風を巻き起こした小学校の行事でのエピソードをご紹介します。