「八幡平を出たいとは思わなかった」県外の生活を経て定住した道のり【連載 第1回(全4回)】

八幡平で暮らす人インタビュー

いま、八幡平市が注力している事業の一つに「スパルタキャンプ」があります。八幡平市と組んで運営を手掛けているのは株式会社NEXT REVOLUTIONの代表を務める高橋一真さんです。高橋さんは、八幡平市大更出身。子どもの頃から地元で働くことを考えていたと言います。

今回は、八幡平市で生まれ、県外での生活を経験した後に地元で起業した高橋一真さんに、お話をお聞きしました。全4回にまとめてご紹介します。

インタビューを行う起業家支援センターを訪問すると、いつもと変わらない爽やかな笑顔で話し始めてくれました。

地元で就職することに迷いはなかった

八幡平市大更に生まれた高橋一さんは、子どもの頃から八幡平市を拠点として生活することを考えていたそうです。最初から起業を考えていたわけではなく、高校卒業後は定年まで働けそうな地元の企業への就職の道を選びました。

「自分が長男だったというのもあり、地元で実家にも近い職場でという感じで、1番最初の職場は選んだんですよ。ある程度大手で、給料もまあまあいいし、定年まで働けそうな会社を選んで。働き始めた頃は、起業ではなく1サラリーマンで定年まで働きたいと考えていました。

八幡平を出たいという想いもなかったです。ただ、入社して半年ぐらいで宮城県の方へ転勤になり、そこで1年働いて。もともと自分は県外に出ない人間だと思っていたんですけど、結果的に県外を経験することになりました」

思いがけず県外で働き転職を決意

県外で働く経験を経た高橋さん。新しい視点を得たことで、就職した会社に対する疑問を覚えるようになります。

「納得できない部分などが見えてくるようになって。岩手に戻ってきてから結構この会社は本当にどうなんだろうと思っている時に、岩手の事業所を閉鎖することになったんですよ。全国展開している会社だったので、他の事務所に転勤するか辞めるか選ぶことになって。自分もモヤモヤした気持ちを抱えていた時期だったので、やった分だけ評価してくれるような仕事がいいと考えるようになりました。

それで岩手にあるIT企業を探しはじめたんですが、当時20歳でもちろん未経験だったので、はじめはどこも面接すらしてくれなかったです」

工業高校に通っていた高橋さんは、授業でプログラミングを学んでいました。しかし、高校時代はプログラミングに全く興味がなく、最初に就職した企業もIT系ではありません。スムーズには進まない転職活動の中、高橋さんは攻めの姿勢を選びました。


「ハローワーク経由だけではなくて、自分で直接企業に電話をしたりとかしましたね。めっちゃ攻めて、やる気だけはアピールしようかなと思って笑

いろいろ探す中の1社に”経験者しか採らない”と書いてあった会社があったんですけど、一か八か申し込んだら、『面接しよう』となりました。その場で、自分はこういう感じのことをやりたいと、やる気のアピールをしたら、元気だからいいという感じで即オッケーをもらえて。20歳のときにIT企業に入りました」

IT企業への就職を果たした高橋さんですが、各地を転々とすることになります。
次回は八幡平に家を建て定住するまでのエピソードをご紹介します。